越中八尾「おわら風の盆」

日本列島の夏の風物詩である盆踊り。
数ある盆踊りの中で、
一生に一度は観てみたいと言われるのが「おわら風の盆」である。

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写真・文 飯田裕子

img17江戸時代元禄期に始まった

むせび泣く胡弓の調べ
人々を魅了する踊り

芙蓉の花が、まるで恋の花をほころばせるように、
大きな花びらを広げている。夏の終わりの3日間。
身動きできないほどの人で溢れる町内を、八尾の女と男が踊り練り歩く。
それは優雅を極め、観る者に涼をさえ感じさせる、美しい盆踊りなのである。

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 毎年8月20日を過ぎる頃、越中八尾の町には熱気が立ち上ってくる。格子戸の奥から胡弓の音色が流れ、風鈴がチリンと鳴って合間をとる。そんな風情の中に熱気はさざ波のように押し寄せ、やがて大きな波になる。
 9月1日から3日まで開催される「風の盆」には、全国から20万人を超える人々が、この小さな町の沿道を埋めるのだ。その人々の視線の先で、八尾の人は一心不乱に踊る、踊る。熱気に包み込まれながらも、その踊る姿は実に優雅で、そこには涼をさえ感じる。深くかぶった菅笠で顔は隠れているが、うなじとしなやかな指先で表現される女踊り。対して男性は藍染の半纏の背中に白い稲穂の染め抜き。すぱっとキレのある動きが美しい。ときに淡々と、ときに情感豊かに、無言の男女が絡み、踊るのだ。

 「風の盆」の由来は「風鎮め」の儀礼という説がある。稲穂がたわわに実る旧暦の八朔。立春から数えて210日のその日が風の厄日で、収穫まで稲が倒れないようにという願いを込めた。もちろん日本各地で見られるものと同じだが、八尾でも元禄時代当初は野卑で騒がしい祭りだったようである。
 それが大正から昭和初期に大きく変わった。地元の医師であった川崎順二という人物が一流の文人墨客、日本舞踊家などを八尾に招き、芸事に熱心だった地元の有志たちと交流を図った。その影響を受けて踊りが洗練され、「男踊り」「女踊り」の基礎ができたのである。踊りの種類は舞台や輪踊りほか、農作業を表現した「豊年踊り」など八尾の11の地区それぞれが独自の工夫を凝らし、様々に進化している。
 夕暮れに一陣の風が吹き、一雨降ったあと、再び舞台や各所で踊りが続いた。やがて夜も更け、最終電車で観客も去った。通りの石畳に静寂が訪れるころ、暗い辻でまた「風の盆」がはじまった。思い思いに奏で、踊るその姿は、夢うつつのごとく、月光の下、東の空が白むまで続いていた。

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“おわら”とは、「大笑い」という言葉を唄ったのが、後に「おわら」に変わったという説、また豊作祈願から大きな稲藁=大藁節が「おわら」に転じたという説がある。

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