木のぬくもりと生きる 指物師の美学 和家具の矜持

Decrease Font Size Increase Font Size Text Size Print This Page


ぬくもりと重厚感。そして杢の目映さ。日本家具の存在感は格別だ。それは素晴らしい材木があればこそ。樹齢数百年という銘木が希少になった今、無垢の木にこだわる家具作りの現場を訪ねた。

写真/内藤サトル 文/JQR編集部

日本全国から集めた銘木数千枚

倉庫に眠る天然銘木は20年以上の乾燥を経ているものばかり。旭川で伐採された巨大な櫤を眺める小山田利男。推定樹齢約400年という巨木だ。

富士山麓の木立に囲まれた巨大な倉庫。扉を開けると、背丈以上もある板が重なり、山のように迫っていた。人ひとりでは持ち運べそうにない無垢の銘木が、数千という単位で埃を被っているのだ。言葉も無く眺めている私に気付いた小山田利男は、ばつが悪そうに言った。

「やんちゃが過ぎたんですね」

富士山周辺は、気温や四季の変化、空気の乾燥度などを含め、無垢材の保存や加工に適した土地である。1955年頃までは手作り家具の産地として栄えていたが、スチール製の家具に押され、腕のいい家具職人たちは次々に姿を消した。そんな富士北麓の家具作りを復興させようと、小山田は80年代後半に10億近い資金を注ぎ全国から銘木を買い集め、家具作りに邁進したのである。自ら作るだけではない。伝統的な日本家具職人を育てるため、何十人もの若者を指導し私財を投じてきた。だが、一人前に育ったのは片手ほどもいなかった。家具作りは手先の器用さはもちろんだが、実際は孤独で根気の要る仕事。指物師として一人前になるためには地道な作業を繰り返し、それを積み上げるしかない。昨今の若者にそれをやり遂げるだけの根気を求めるのは難しい。

小山田は1938年に、富士吉田市で植木屋を営む両親の元、11人兄弟の6番目として生まれた。中学を卒業すると、横浜市神奈川区大口にある伊東木工所に見習いとして住み込み、そこで家具作りの基礎を学ぶ。親方の指導により木の性質を読み解き、わずかな誤差も許されない木の切り込みや手作業で合わせる建具作り、精巧な意匠が求められる曲線組子の技術を習得した。手先が器用で木の魅力に取り憑かれた小山田はみるみる腕を上げ、若くして独立を果たした。

だが1960年以降、都会を中心に西洋の生活スタイルが定着すると、建具や指物の仕事が激減。小山田は意に反して木工の仕事を封印し、鉄骨やボイラー、建築に事業の転換を図った。これが功を奏し、その後会社は右肩上がりで業績を伸ばした。事業に余裕ができると、封印した建具や指物の虫が騒ぎ出す。80年代後半になると、潤沢な資金を銘木蒐集に回し、以前に増して家具作りにのめり込んでいった。

しかし、順風満帆な事業も1990年に施行された「総量規制=バブル崩壊」によって暗転。深刻な資金繰りの悪化を招いたのである。“やんちゃが過ぎた”こともその一因だ。幸い、家族が一丸となって苦境を乗り越えて今に至るが、社長の“道楽”への風当たりは強い。

実際、日本家具は高価で、作るにはコストが掛かる。しかし目で見て手で触れると、誰もが間違いなく心を奪われる。それはまさしく無垢の木と指物師の技が織りなす芸術に他ならないからだ。

大きすぎて機械に入らないため鉋で板を削る家具職人の竹本儀一。これだけの面の水平を出すのは難しく、腕のよい職人が作業をしても時間がかかる。板は200 キロを優に超え、移動にはクレーンが必要だ。

2011年に開催された全国建具展示会で優秀賞を獲得した、重厚な趣の和風サイドボード(W2100 × D600 × H1200)。材種は欅。漆仕上げ。天板に厚い一枚板を使用し、脚部も太く仕上げ、重量感を出している。左右の鎧戸に使われている戸は、板を細い波状に加工し格子状に編み込んだもの。一見一枚の板だが、写真のように丸めることができる。1本を波状に加工するのに丸一日かかり、すべて作りあげるのに4 ヶ月が必要だ。

この記事の感想
  • おもしろかった (2)
  • とてもおもしろく役に立った (0)
  • 役に立った (0)
  • つまらなかった (0)

Pages: 1 2 3