長寿の時代と日本の名医 [第4回]

20年後も元気な心臓を目指し
オフポンプ手術の質を極める

新浪博士(心臓血管外科医)

今回のテーマ:心臓の冠動脈手術

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PROFILE

新浪博士(にいなみひろし)

埼玉医科大学国際医療センター心臓血管外科教授、診療科長
1962年、神奈川県生まれ。群馬大学医学部卒業後、東京女子医科大学大学院修了。アメリカ・ウェインステート大学、オーストラリア・ロイヤルノースショアホスピタルなどに留学。帰国後、東京女子医科大学附属第二病院(現・東医療センター)心臓血管外科講師、助教授を経て、順天堂大学にて、「天皇陛下の執刀医」として著名な天野篤医師の下、助教授として腕を磨く。2007年より現職。

2012年に天皇陛下が受けた「オフポンプ冠動脈バイパス手術」。難易度が高いながらも、患者の身体への負担が格段に低いことでこの術式が選ばれた。埼玉医科大学国際医療センター(埼玉県日高市)の新浪博士医師は、このオフポンプ手術を年間200例手がけている第一人者のひとり。一般的な手術より「10年長持ちする心臓」を担保し、さらなる高みを目指している。

取材・文/木原洋美 撮影/内藤サトル

日本のバイパス手術の70%はオフポンプ

「オフポンプ冠動脈バイパス手術は、世界中のどの国よりも、日本が一番進んでいる」と新浪医師は断言する。なぜか――。
 心臓の冠動脈が狭くなる「狭心症」や、冠動脈が詰まってしまう「心筋梗塞」の主な治療法には、薬物療法、冠動脈カテーテル治療、冠動脈バイパス手術の3種類がある。薬を服用しても発作が抑えられず、冠動脈の狭窄部がカテーテル治療を行うのには難しい場所である場合や、カテーテル治療では危険を伴う場合、また複数の個所が狭くなっている場合に行われるのが「冠動脈バイパス術」だ。別の血管(グラフト)を使って迂回路(バイパス)を作り、血液の循環を正常な状態に戻す。従来は心臓を一時的に止めて、人工心肺というポンプの役割をする装置を使って全身に血液を送りながら心臓を一時的に止めて行うのが一般的だった。
 しかし、現在日本ではポンプを使わず心臓は拍動させたまま、スタビライザーという道具で縫合部分の揺れを抑えて手術を進める「オフポンプ手術」が7割を占めている。その最大のメリットは、心臓や全身への負担が少なく、術後の回復が早いこと。人工心肺は非常に安全性の高い装置だが、心臓の拍動を止め、長い時間仮死状態にさせることが、患者の肉体に大きなダメージを与えることは否定できない。

デスク横には日本が誇る心臓血管外科四天王の写真が飾られている。前列左:滋賀医科大学の浅井徹教授、右:榊原記念病院の高梨秀一郎医師。後列右:順天堂大学の天野篤教授。左:新浪医師。

デスク横には日本が誇る心臓血管外科四天王の写真が飾られている。前列左:滋賀医科大学の浅井徹教授、右:榊原記念病院の高梨秀一郎医師。後列右:順天堂大学の天野篤教授。左:新浪医師。

メリットは高いのに欧米で広まらない理由

 だが、「アメリカではバイパス手術全体の17%、ヨーロッパは10%前後しかオフポンプはやられていない」(新浪医師)。
 理由は3つある。1つめは、人工心肺を用いる「オンポンプ手術」のほうがオフポンプよりも簡単で、効率がいいということ。
「経験の少ない若手医師でも手術できるし、オフポンプだと5時間かかるところを、オンポンプなら3時間で終えられる。数をこなすのに適しているのです」
 2つめは未熟な医師がオフポンプに挑み、治療成績を下げていること。
「手術の数をこなしていない若い医師にとって、オフポンプは難しく、上手くいかないのは当然です。しかし、欧米でも専門的に取り組んでいる病院では、オフポンプの治療成績は素晴らしいんですよ」
 そして3つめは、日本の場合、バイパス手術が適応されるのは、ほぼ重症患者に限られるということ。
「例えばイギリスではバイパス手術とカテーテル治療の割合は1:3。軽症の患者さんにもバイパス手術が行われています。それが日本では1:14です。患者さんの負担軽減を第一に考え、できるだけカテーテル治療を行う傾向があるからです。反面、バイパス手術が適応される患者さんの重症度はイギリスより日本の方がはるかに高くなります。高齢者や合併症を抱えるといった重症な人たちを救うための最後の選択肢ですから、オンポンプより安全なオフポンプの手術が選択されるのは当然です」
 患者の身体的負担の軽減を重視し、高い専門性を追求した結果、たどりついたのがオフポンプ冠動脈バイパス手術なのである。

0.1ミリの正確さが求められる手術であるにもかかわらず、目の前の心臓は血の海の中で身をよじり、バウンドしている。直径2㎜程の細い血管同士を縫い合わせるだけでも至難の業だが、それをオフポンプ、つまり人工心肺を使わずに心臓を動かしたままやってのける。

0.1ミリの正確さが求められる手術であるにもかかわらず、目の前の心臓は血の海の中で身をよじり、バウンドしている。直径2㎜程の細い血管同士を縫い合わせるだけでも至難の業だが、それをオフポンプ、つまり人工心肺を使わずに心臓を動かしたままやってのける。

20年もたせたいから可能な限り動脈を使う

 もう一点、日本のバイパス手術には優れた特徴がある。バイパスを作る際、グラフトには可能な限り「動脈」を使うことだ。
 通常、バイパス手術で用いるグラフトは、脚の静脈、胸骨の裏側にある内胸動脈、前腕の動脈、胃の大網動脈のいずれかを採取する。脚の静脈なら簡単に採取できるが、内胸と胃の動脈の場合、そうはいかない。ある程度の専門的な技術が必要な上に、採取するだけで1時間程度はかかる。ただ、それでもあえて動脈を使うのは、血管の持ちが“倍ほども違う”からだ。
「静脈は10年で7割ぐらいがダメになる。どんなに上手な、神の手を持つ医師が手術しても、です。それに対して、動脈は20年持ちます。なぜかというと冠動脈は動脈で、静脈じゃない。神様は、静脈は静脈用に作ったと僕は思っています。静脈にかかる血圧は10ぐらい。一方動脈には低くとも120~130の圧がかかる。70歳の人なら70年間、静脈として働いてきた血管を、ある日いきなり動脈として働かせても、それは大変でしょう。これは僕の推察ですけどね」
 とはいえ、冠動脈手術すべてを動脈で行うわけではない。
「80歳より上で、手術にあまり時間をかけられない方に対しては脚の静脈を用います。90歳まで10年間持てば十分、という方もおられますから。ケースバイケース、それぞれの患者さんにとっての最善を尽くすのが、僕のやり方です」
「先日ドイツの学会に参加した際、どうしてドイツでは内胸動脈はせいぜい一本で、あとは静脈ばかり使うのか尋ねました。するとやはり、内胸動脈を取るのは難しい。部下に採取させると、せっかくの血管を壊してしまうし時間もかかるから、と話していました。ドイツの代表的な心臓専門病院ですら、そうなのです。とにかく一時、元気になればいい。血管がダメになったら再手術すればいいじゃないかという考え方です。僕たちは基本的に、再手術はしない方向を目指します」

白い手袋をした手がすくい上げているのは(写真上)、患者の胃から採取する大網動脈。この血管を用いることで、患者の心臓を10年以上長生きさせる。「速さは追求しない。丁寧かつ確実に」と話す新浪医師。一瞬たりとも気が抜けない、まさに「質」への挑戦だ。

白い手袋をした手がすくい上げているのは(写真上)、患者の胃から採取する大網動脈。この血管を用いることで、患者の心臓を10年以上長生きさせる。「速さは追求しない。丁寧かつ確実に」と話す新浪医師。一瞬たりとも気が抜けない、まさに「質」への挑戦だ。

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クリントンはオンポンプ陛下はオフポンプ

 日本では、年に50〜100例ほどしか心臓手術をしない病院が点在しているが、欧米の場合は手術を一手に引き受けるセンター病院が存在し、年間1000〜2000例もの手術を行っている。事情はだいぶ異なるので一概に比較はできないものの、バイパス手術に関しては、たとえ手術に倍の時間がかかっても動脈を使い、オフポンプで手術する日本の方が、患者にとってのメリットが大きいことは確かだろう。
「例としては、アメリカの元大統領ビル・クリントン氏は人工心肺を使い、内胸動脈一本と静脈グラフトを使ってのバイパス手術でした。近い将来、再手術になる可能性は大きくても、欧米ではこのように静脈を使う。片や日本の天皇陛下は80歳を過ぎておられましたが、オフポンプと動脈グラフトのみの手術を受けた。これが日本と欧米先進国の典型的な差です」

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(写真左)手術の合間に、患者を紹介してくれた病院への礼状や報告書を書く。心臓病患者は高血圧や糖尿病などの慢性疾患を持っている場合が多く、術後、元気で長生きしてもらうためには、患者の地元の医師との連携が重要だからだ。(写真上)情報共有のため、回診は執刀医、ICUスタッフ、リハビリ科の医師など総出で行う。回診しながらデータをPCに入力するスタイルも考案。ムダを省くことも重視している。(写真下)埼玉医科大学国際医療センターは2015年4月、日本の大学病院では初めて、世界的な病院機能評価であるJCIの認証を受けた。

手術が上手過ぎて麻酔医は見せ場がない

 9月のある日、埼玉医科大学国際医療センター内にある心臓血管外科専用手術室では、70代男性のオフポンプ冠動脈バイパス手術が行われていた。まずは2時間あまりをかけて、左右の内胸動脈と胃の大網動脈の血管を準備する。
「脚の静脈は使わず、左右の内胸動脈と胃の大網動脈だけで行うのが僕のバイパス手術の特徴です。大網動脈は使い方にコツがあるので、使う先生は日本でも数えるくらいしかいませんが、非常にいい結果が出ます」
 開胸した創を数センチ延ばして切り下すため、創は一本で済む。
「特に難易度が高いのは心臓の裏側の血管を縫う時。心臓に糸をかけて引っ張り、わずかに傾かせ、狭い術野の中で縫い合わせます。心臓をひっくり返せればいいのですが、そうすると血圧が一気に下がってしまいますからね」
 直径2㎜ほどの血管同士を縫い合わせるだけでも至難の業だが、それをオフポンプ、つまり人工心肺を使わず、心臓を動かしたまま行う。患者の血圧は終始80~90と安定したままだ。
「並の医師なら、術中の血圧低下や心肺停止は当たり前に起こります。ところが新浪先生の場合は手術が上手過ぎて、麻酔科医は見せ場がありません」(手術に立ち会っていた麻酔科医)
 外科手術では、執刀医は手技に集中し、患者の全身管理は麻酔科医が担当する。麻酔科医が暇なのは、執刀医の技術が高い証拠といえる。
 開始から4時間、手術は無事に終了。患者は病気になる前の、元気な心臓を取り戻した。

年300例以上 執刀外科医は数こそ質

「僕は、速さは追求しません。他のどの医師がやるよりも患者を元気にし、長生きさせる手術を目指しています」
 患者の多くは高齢であり、糖尿病や高血圧といった持病を抱えている。治療を要する血管は一本ではないし、弁膜症や不整脈を併発している例も少なくない。単純に命を救うだけなら、手早く、必要最小限の手術で済ませればいい。だが術後10年、20年のQOL(生活の質)の差を重視する新浪医師は、患者の身体が耐えられる範囲で、やれることを徹底追求する主義だ。
 手術件数は年間300例以上。うち200例近くがバイパス手術だ。日本の平均的な心臓外科医の10倍以上もの手術を執刀し続けるのは、それが世界標準だから。
「留学していたオーストラリアでは、年間最低200例が当たり前。中には1000例にも達する猛者もいました。それくらいの手術数がないと、手術の質は担保できないと思います。実際、1週間の海外出張から戻ってメスを握ると、感覚が鈍っているような気がして仕方ない。外科医は手術を重ねることで技術と経験値が上がり、成長できる。数こそ質なのです」

趣味はエレキギター。「指を動かすから手術の鍛錬にもなるしね」と笑うが、冠動脈手術は術後のケアがとても重要。新浪医師は患者の容体を気遣い、泊まり込むことも多い。その合間にギターを手にする。その時が唯一の息抜きだ。

趣味はエレキギター。「指を動かすから手術の鍛錬にもなるしね」と笑うが、冠動脈手術は術後のケアがとても重要。新浪医師は患者の容体を気遣い、泊まり込むことも多い。その合間にギターを手にする。その時が唯一の息抜きだ。

ミャンマーへ技術指導に赴く

4年前より、ミャンマーの国立病院からの依頼で年2回、手術および技術指導に訪れている新浪医師。滞在中は、1週間で10例もの手術を手掛ける。一方、ミャンマーから、医療スタッフの研修も受け入れている。

4年前より、ミャンマーの国立病院からの依頼で年2回、手術および技術指導に訪れている新浪医師。滞在中は、1週間で10例もの手術を手掛ける。一方、ミャンマーから、医療スタッフの研修も受け入れている。

患者さんを苦しみからパッと解放してあげたい

 心臓外科医を目指したきっかけは、高校時代に見たドラマ『白い巨塔』(フジテレビ)だった。
「田宮二郎が演じた財前教授のカッコよさに憧れて(笑)、大病院の外科医になろうと。ただ、財前教授は消化器外科でしたが、僕は心臓を選びました。心臓外科なら、手術によって患者さんを苦しみからパッと解放してあげられる。そこがすごくやりがいのあるところです」
 将来的には埼玉医科大学国際医療センターを、年間1000例以上の心臓手術を行う施設に成長させることが目標だ。そのために、信頼して任せられる医局員の育成に心血を注ぐ。
「今、当院には僕以外に3名、心臓手術ができる医師がいます。『この道を究めたい』という志を持つ有望な若手を、直接スカウトして育ててきました」
 WHO(世界保健機関)によれば、高血圧や糖尿病、肥満などの生活習慣病のリスクは世界中で高まっており、それらが引き起こす病気の中でも「心疾患」による死亡者は全体の48%、年間1700万人にのぼることを明らかにしている。今後は、「狭心症・心筋梗塞の治療はぜひ日本で、オフポンプ冠動脈バイパス手術を受けたい。できるなら、新浪先生に執刀して欲しい」という患者が、世界中で増えるに違いない。

「元気で長生きしたいと願うなら、冠動脈バイパス手術はオフポンプで血管は動脈を使うべき」と新浪医師。どの医者よりも患者を元気にして帰す医療をめざし、今日も前へ進む。

「元気で長生きしたいと願うなら、冠動脈バイパス手術はオフポンプで血管は動脈を使うべき」と新浪医師。どの医者よりも患者を元気にして帰す医療をめざし、今日も前へ進む。

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