長寿の時代と日本の名医 [第3回]

世界最高峰の白内障手術を
提供し続ける眼科医

赤星隆幸(三井記念病院)

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PROFILE

赤星隆幸(あかほしたかゆき)

三井記念病院眼科部長
1957年 神奈川県生まれ。自治医科大学卒業後、東京大学医学部付属病院眼科医員、武蔵野赤十字病院等を経て、92年より現職。白内障手術の新しい術式、「フェイコ・プレチョップ法」の考案者として有名。海外の4つの大学の眼科客員教授を併任。

マレーシアの元首相、マハティール・ビン・モハマド氏が2015年5月20日に来日した。都内の大学での講演会や国際交流会議への参加が主目的だったが、さらに重要な事案が隠されていた。それは三井記念病院(東京都千代田区)で白内障の手術を受けることである。マハティール氏が頼ったのは白内障の世界的権威、赤星隆幸医師だった。

取材・文/木原洋美 撮影/内藤サトル

引き受け手がいなかった超VIPの手術

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白内障は、眼球内でカメラのレンズの役割を果たす「水晶体」が、加齢とともに劣化して濁り、ものが見えにくくなってしまう病気だ。70代になれば9割もの人が罹患してしまうことから、「避けがたい老化現象」ともいわれる。日本では日帰り手術での治療が可能なため簡単な病気というイメージがあるが、世界的には失明原因のトップであり、いまだに年間1800万もの人々の視力を奪っている。とはいえ、一国の元首相がなぜ、わざわざ海外の病院で手術を受ける必要があったのか。マレーシア国内の医師にはできなかったのか――。
 できなかったのである。
 御年90歳になるマハティール氏は、糖尿病や心臓病など複数の疾患を抱えているため、白内障の手術とはいえ、高いリスクをともなった。国内外のすべての眼科医に断られ、唯一執刀を承諾したのが、赤星医師だった。
 難しい症例の執刀を可能にしたのは、赤星医師が92年に開発した「フェイコ・プレチョップ法」だ。その名の通り、水晶体(フェイコ)を、超音波をかけて乳化吸引する前に、あらかじめ(プレ)、砕く(チョップ)。傷口1.8㎜、所要時間3~4分、出血ゼロ、身体への負担は最小限で日帰りもできる。安全かつ確実な上に、身体への負担がこれ以上低い白内障手術は存在しない。この方法で彼は、仰向けの姿勢でい続けるのが困難な患者の手術を、片目わずか1分29秒で完了させたこともあるという。
 日本で一般的に行われている従来の術式では、水晶体に大きな塊の状態から超音波をかけ始めるため、手術時間は10~30分と長く、超音波による熱や術中の眼圧が角膜や視神経に大きな負担をかける。創口も、3~6㎜の大きさになり、縫合を必要とするため眼球が歪み「術後乱視」にもなりやすい。赤星医師は、こうした問題点をすべて解決してしまったのだ。

最善の手術をめざし、細部までこだわり抜かれた白内障手術専用の手術室。赤星医師はここで、多い日には60件もの手術を行う。「手術を待っている患者さんのことを思えば、できるだけ多く手術しなければなりません。しかし、なにかあったときに対応できるようにするため、あとプラス10件できる余力を残して止めています」

工夫を究めた双子の手術室

「患者さんにとっては人生で一度きりの白内障手術。不安をできるだけなくし、リラックスした状態で最高の手術を受けていただけるよう、常に最善を尽くしています」
 その最善のひとつの形が双子の手術室である。赤星医師が双方を往復しながら、1日60件、年間9670件(2014年)にも上る驚異的な数の白内障手術を、安全かつ効率よく行うための工夫だ。準備室をはさんで接続された室内には、同じ設備と器具が同じ配置で整えられ、同じ編成のチームがスタンバイしている。
「○○さん、こんにちは。緊張してますか。大丈夫、すぐ終わりますからね」
 手術台に横たわる患者に優しく話しかけると、赤星医師は手術を開始した。点眼麻酔だけなので患者は意識があり、会話もできる。
まず、特注の極薄ダイヤモンドメスで、角膜を1.8㎜切開する。出血はない。次いで、白内障の原因である白く濁った水晶体を専用器具「プレチョッパー」で4分割し、超音波を発振する極小の掃除機のような器具で細かく砕き、乳化させながら吸い出した・・・・・・。

赤星医師が開発した白内障手術
「フェイコ・プレチョップ法」の手順

① プレチョッパーで濁った水晶体を割る


② 4分割された水晶体


③ 超音波で乳化され、吸引される水晶体


④ インジェクターで眼内レンズを挿入

④ インジェクターで眼内レンズを挿入

1.8mmの切開口から6mmのレンズを挿入

「圧がかかるので、ちょっと重く感じるかもしれませんが問題ありませんからね」
 不安を共有し、安心してもらうよう、赤星医師は絶えず患者に話しかけながら手術を進める。顕微鏡を覗きこみ、動かす指先には寸分の狂いもない。顕微鏡の操作や超音波の出力、吸引圧のコントロールは足で行う。操作ペダルの微妙な反応も感じ取れるよう足元は靴下のままだ。サンダルは履かない。患者の息づかいにも耳を澄まし、緊張が強いと察すれば、「手を握って差し上げて」とすかさず看護師に促す。
 瞳を覆っていた白濁が、瞬く間に除去されていく。クライマックスは隅々までクリアになった後に訪れた。1.8㎜の切開口から直径6㎜の眼内レンズを専用器具で圧縮して一気に挿入する。まさにあっという間の早業。
「2004年に国際学会で発表した時には、みんな唖然として、コンピューターグラフィックじゃないかと驚かれました(笑)」
 最後にレンズの位置を微調整して手術は終了。傷口は縫合しなくても自然に閉じる。わずか3~4分の手術で、患者の瞳に濁りのない澄み切った視界が戻った。
 圧倒的なスピードから、「まるでF1手術」の異名を取る赤星医師の手術。手術が早く確実なほど、眼球への負担は軽くなる。早さの追求はイコール質の追求なのだ。患者に負担をかけず、最善の手術をするために、赤星医師は極小切開を可能にする「ダイヤモンドメス」、水晶体を割る「プレチョッパー」、小さな傷口から3倍以上もの直径のレンズをするっと挿入する「インジェクター」、手術の際に瞳の部分だけを残して患者の顔を覆う「ドレープ」まで、つまり手術に要する道具一式をオリジナルで開発した。自らのメガネにかなう道具が世界中のどこにもなかったからだ。
 その一つ、プレチョッパーの革新的なアイデアは、テレビで映画で岩盤にダイナマイトを仕掛けて爆破させているのを見て閃めいたもの。
「(ダイナマイトのように)水晶体の核に超音波を発振する鋭利なピンセットを差し込み、開いたら、内側からきれいに割れるのではないかと考えたのです」

腕時計を解体し組み立て遊んだ少年時代

手術室のモニターに大きく映し出された眼内の様子。すでに眼内レンズの装着が終わり、瞳はキレイに澄んでいる。

 実家が貧しかった赤星医師は少年時代、プラモデルを買ってもらえなかったため、自分で鉄道模型を作り、腕時計を解体してはまた組み立てて遊んでいたという。革新的な術式を編み出した創造力は、そんな成長過程で培われたのだろう。
 近年の自信作は「エレクトリックトーリックマーカー」だ。乱視矯正用の眼内レンズであるトーリックレンズを挿入する際に、乱視の方向を正確に計測してマーキングする器具である。14年、赤星医師の手術を受けた患者の37%が、この器具のお陰でトーリックレンズを用いることができた。
 従来、マーキングに高度な技術と面倒な手間を要するため、眼科医は誰もこのレンズを使いたがらなかった。簡単に行えるようにする機械も発売されたが、価格は一台数千万円。赤星医師は、秋葉原のカメラ量販店でなら4000円で買えるカメラ用の水準器を部品に使い、たった数万円の原価で数千万円の機械よりも簡単かつスピーディーにマーキングできる器具を開発してしまったのだ。

プレチョッパー、ダイヤモンドメス、インジェクター等、手術に使う器具のほとんどはオリジナルだ

 赤星医師にとっての最優先事項は常に、「すべての患者さんに一番いい手術をすること」。ゆえに、このマーカーも含め、開発した器具のほとんどについて、特許を申請していない。幼い頃から目が弱く、しょっちゅう眼科に通っていた彼の夢は、自分を治療してくれた医師たちや、彼らが尊敬する医師・シュバイツァーのように「目の病気で困っている人をあまねく治すお医者さん」になることだったからだ。
「世界に術式を広め、失明の危機にある人を一人でも多く救うことが私の願いです。特許を申請することで器具が高価になったら、発展途上国の医師や病院が使いにくくなってしまうじゃないですか」

写真上)術後は目を保護するためにプラスチック製のゴーグルをかけて帰宅する。
写真中)患者の緊張が強い時には、手を握ってあげるよう看護師に指示を出す。
写真下)手術室では常に足元は靴下履き。機械の微妙な操作は、サンダルではできないという。

世界は認めたが日本ではマイナー

 この努力が実り、フェイコ・プレチョップ法は現在、世界66ヵ国で採用されるまでに普及している。マハティール氏のような海外から来日する患者も、「病院の予想をはるかに超えるペースで増えている」(三井記念病院国際化準備室)という。
 無論、国内の患者も殺到しているため、手術はいつも半年から2年半待ちだ。
「1500軒以上の開業医から患者さんを紹介されています。一日でも早く、一人でも多くの患者さんを手術してあげられるよう、工夫と診療に取り組んでいます。365日無休です」
 不思議な話だが、日本国内の眼科ではフェイコ・プレチョップ法は、実はマイナーな存在だ。
「開発したばかりの頃は私も、学会での研究発表や公開手術など、一生懸命に普及活動を行いました。しかし認めてもらえないばかりか、厳しい批判を受けたのです。『手術時間が短すぎると、白内障の手術は簡単だと思われる。結果、保険点数が低くなり、我々眼科医の収入が減るじゃないか』という理由です。術式の質ではなく、まったく違うところで反発している。日本の学会には失望しています」

今年、「ヨルダンの白内障手術に最も貢献した眼科医」として表彰された。隣はヨルダン皇太子。

 国内では不相応に冷遇されている赤星医師だが、世界的な評価は高まる一方だ。国際的に権威のある米国白内障屈折矯正手術学会をはじめ、欧米、アジアの各機関から数々の名誉ある賞を贈られた。眼科領域では、世界で最も権威があるアメリカンアカデミーの国際学会において公開手術を行った初めての日本人にもなった。
 そして術式の普及をめざし、講演に、公開手術にと、世界中を飛び回る。片道3日間かかるアマゾンの奥地や政情不安定な地域にも、招かれれば率先しておもむく。実際、命の危険に晒された経験も多々あるという。

パキスタンで行った公開手術にはテレビカメラが入り、学会場に同時中継された。

テロにも臆せず、世界を飛び回る

2006年11月、イランのテヘランでの講演風景。

「スリランカでは、まさに出ようとしていた玄関先で自爆テロが起こり、爆風で吹き飛ばされました。自分が乗るはずだった車のあたりは血の海。危機一髪でしたね」 
 それでも、怖じ気づき、活動を止めようとは思わない。普通のドクターでは手に負えない重症の患者や、直々の指導を望む医師たちが、大勢待っているからだ。
「手術が終わると、患者さんたちは素晴らしい笑顔を見せてくれますし、現地の医師たちも、こんな難しい手術もできるようになったと、上達ぶりを報告してくれる。それが最大の喜びです」

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1957年生まれの赤星医師。あと2年足らずで還暦を迎える。「これからも身体が元気な限り、海外に出て私の手術を教えて回るつもりです。中南米、アジア、中近東の発展途上国を中心に、良い手術のできる眼科医を育成することを、老後のライフワークにしたい。もちろん、患者さんに最高の医療を提供することも続けて行きます」
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