西澤潤一 – 工学者・上智大学特任教授

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エネルギーの有効活用を提唱する 半導体レーザー、高輝度LEDや光ファイバーの発明者

 

ーー半導体の研究を始められたきっかけは?

西澤 当時、東北大学にあった特別研究制度を利用して、私は卒業後も研究を続け、その後、渡辺寧先生の研究室に移りました。1948年の12月のある日のこと、GHQを訪れた渡辺先生は、米国のベル電話研究所が半導体を使った固体増幅器を作ったことを耳にしたのです。翌年の3月頃、渡辺先生から『お前も半導体の研究を始めろ』と指示されたことがきっかけです」

ーー1950年9月11日には早くも、99%以上の効率で働くpinダイオードの特許を出願されました。続いて52年にAPD(アバランシェ・フォトダイオード)、53年にpinフォトダイオード、また58年には耐圧2300ボルト、400アンペアという、当時としては驚くほどのハイスペックを実現されています。こうした実績を生み出す取り組みとはどのようになされているのですか?

西澤 ごく普通ですよ。強いて言えば、納得いくまで物を考えることでしょうか。そして、考えた結論を元に試してみる。自分をごまかさずにコツコツと考え続けるプロセスこそ、新しい発見に繫がります。ですが、若い人は情報を取り入れることが上手で要領が良いから、諦めるのも早い(笑)。

ーー続けることの不安はないのですか?

西澤 もちろん不安だらけです(笑)。「これが正しい方法なのか?誰かが先に結果を出すのでは?」と。ただ、諦めて終わりにすると、後には何も残りません。優秀な研究者でも、「あのころもっと粘って続けていたら、踏み込んで調べていれば」と後悔することが少なからずあります。せっかく得た機会を逃さないことが、とても重要なんですね。

ーー1958年4月には「半導体メーサー」という名称で、光増幅を特許出願されました。当時はレーザーという言葉はなく、マイクロ波を増幅するものをメーサーと言ったようですね。

西澤 1955年に、私は世界で初めてマイクロ波の増幅に成功し、固体メーサーを実現しました。そして、半導体なら連続増幅できるのではと考えたのです。アイデアを具体的な形として実現しなければ世間は評価しません。なので、研究費を捻出するため奔走しました。しかし企業は「できるかできないかわからないものに金は出せない」と、にべもありませんでした。

ーー結局、半導体レーザーは米国に先に実現されたことにされ、先を越されてしまいました。

西澤 その時、喜安善市先生が「半導体レーザー光の伝送は何でやるのがいいかを考えて欲しい」と言われました。私は「ファイバーが良いと思います」と申し上げ、1964年に画期的な光伝送線路として、内部に屈折率分布を持った集束型グラスファイバーを特許出願し、翌年「米国電気電子学会誌」に論文を発表しました。ここでも日本人の反応は鈍く、真っ先に見に来たのはベル研究所のピアス博士です。帰米して、すぐにコーニング・グラス・ワークス社と共同開発を始めています。

ーー先生の独創はたいへんスケールか大きいですね。できないと結論づけている論文があっても、果敢に挑戦する。そこには、支配的な物の見方や共通の思考の枠組みを超える何かがあるように思うのですが。先生は、どのように着想されるのですか?

西澤 絶えず夢を見ているんですよ。こういうこともできそうだな、ああすればできるんじゃないかな、と思うわけですね。でも、夢だけで終わらせては科学者ではありません。夢を形にすることこそが大切ですし、それが達成できれば大きな喜びにもなります。

ーー科学技術の研究は日進月歩ですし、進歩した研究の先のテーマを追い求めるのですから、費用も必要ですね。

西澤 最先端の研究には多くの費用がかかります。政府は科学技術に大きな予算をつけるべきです。日本はそれをやれるのだから。もちろん、研究費をもらった研究者は結果を出すことが求められます。国民の税金なのですから、無駄は許されません。私の研究は理解されないことが多かったので、あまり予算が回ってきませんでした。なので、私は特許で得たお金で研究所を作りましたが、これはまれな例です。

ーー2009年の事業仕分けで、スーパーコンピュータの性能は何故二番ではいけないのか、という問いかけがありましたが、どうお考えですか?

西澤 一番になるという意識が大切なのです。有象無象ではなく、一番を目指しているからこそ、様々な障壁を乗り越えようと頑張る。日本人なら誰もが知っているように、我が国には資源がありません。資源なき孤島に住むわが民族の安泰を図るためには、世界中の人が幸せになるという研究が必要でしょうね。それを実現するのが「科学技術」。日本にとって「科学技術」は、まさに命綱です。

ーー高齢化や財政赤字が急速に進み、政府の対応にも批判が出ています。

西澤 よく言えば〝成熟期〟ですが、〝長期停滞〟からなかなか抜け出せないというのが、本音でしょうね。新しい科学技術を生み出さなければ存続できないという緊張感と使命感が必要だと思います。残念ながら、日本人は優秀な人を評価できません。斬新なアイデアなら、リスクが大きくても金を出す体勢がないと、この技術競争の時代に遅れをとってしまいますし、すでに、遅れてしまっているというのが実感です。

 

Interview portrait

夢想するだけでなく、それを作らなければならない。結果を出すことこそ、科学者の使命なのです。

 

ーー1980年代末に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた日本ですが、その繁栄はもう来ませんか?

西澤 それまでアメリカに対抗できたこと自体が奇跡に近いんですね。私としては、戦後40年を過ぎて、ようやく同じスタートラインに立てたような心境でした。ところがその後、バブルが崩壊。世の中の意欲は急速に萎んでしまった。当時の日本は勘違いしていたんです。世界をなめていました。たしかに安くて小さくて壊れにくい日本の製品は、世界中で人気を博し、よく売れた。しかしそれは、既存の製品を改良する技術に長けているだけ。ゼロから何かを生み出すのは決して得意ではないのです。だから1990年代に入り、アメリカのシリコンバレーが牽引して世界が新しいIT関連技術で競争するようになると、もはや力の入れ場所がわからなくなってしまいます。狭い視野のままで、ズルズルと後退していったのです。そんな状況が今日まで続いているのではないでしょうか。

ーーこれからの日本の役割は何でしょうか?

西澤 例えば地球温暖化問題ですね。不確定要素もあり世界的に様々な議論が巡らされていますが、確実に言えることは、我々の文明を支えてきた石油・石炭などの化石燃料にまつわるエネルギー危機が眼前に迫り、かつそこから排出される二酸化炭素による弊害は地球の許容量を超えつつある。日本がいち早くニューデバイスを開発し、工業化して世界中に供給することが求められています。エネルギーの有効活用度を上げていくことが、喫緊の課題です。

ーーでは、人類の課題は?

西澤 たくさんあってきりがないですよ(笑)。まず食料が不足しますから、食物が早く育つ、暗くても育つ、というのがテーマでしょうか。昼は日光がありますが夜はありません。夜になると、地球の裏側から電気を引っ張ってきて、LEDで育てるとか。

ーー遠隔地から電気を引っ張ってくるのは、先生が開発されたSITHY(静電誘導サイリスタ)の発想ですね。

西澤 1971年に、SIT原理をサイリスタ(半導体製の電気スイッチ)に使う論文を米電子電気学会の雑誌に載せたところ、早速飛び込んできたのがGEでした。このSITサイリスタで直流送電をやりたいが、ロスはどれだけあるかと。その時初めて、直流送電の重要性を教えられたのです。EPR(I米電力研究所)でも、電力の安定供給化に使いたい、という話があります。砂漠に太陽電池を並べて発電する発想ですが、太陽電池は低電圧、大電流ですから、高圧送電線に流すには交流に変換しなければなりません。私は1986年に、直流送電で水力発電を生産工場や大都市周辺へ送電するシステムをOPEC総会で発表しました。SITHY(静電誘導サイリスタ)は、300KHZで98%、20KHZ発生で99%という値を得ています。

ー世界中に喜んでもらえるイノベーションや新産業を提供できれば、日本も沈没しないで済みますね。

西澤 人類の生存と未来を決定する分岐点が、そこまで迫ってきています。地球規模での危機を科学技術の力で回避し、人類の次の世代にバトンタッチしたいですね。

ーー先生の身近な関心や悩みは何でしょうか?

西澤 人工ガソリンを作るとか、人のやってないことをやってみせることですね。まだまだやりたいことがたくさんあることが悩みです(笑)。

 

Interview medal
IEEE JUN-ICHI NISHIZAWA MEDAL
米国電気電子学会(IEEE)は2002年、西澤潤一の名を冠したJUN-ICHI NISHIZAWA MEDALを設けた。電子工学部門では最高の栄誉とされ、電子デバイスとその材料科学の分野で顕著な貢献をした個人・団体を顕彰している。なお、西澤潤一氏は直流電流ネットワークを地球表面に張り巡らすプロジェクトの提唱により、2000年にIEEEのエジソンメダルを受賞している。

 

西沢潤一
1926年生まれ。工学者、上智大学特任教授、学院顧問。APD(アバランシェ・フォトダイオード、1952年)、pinフォトダイオード(53年)、半導体レーザー(57年)、集束型グラスファイバー(64年)、SIT(スタティック・インダクション・トランジスタ、70年)、偏光型ファイバー(74年)などを発明。半導体デバイス、半導体プロセス、光通信の開発で独創的な業績を挙げる。東北大学総長、岩手県立大学長、首都大学東京学長を歴任。東北大学名誉教授、日本学士院会員。1983年に文化功労者。先端技術産業戦略推進機構会長など公職多数を兼任。

 

撮影/内藤サトル、インタービュー/JQR

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