今、気になる日本人にインタビュー – 花代

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いくつものフィールドでワールドワイドに表現活動をする花代さん。芸者の修業を経験し、アーティスト、写真家、ミュージシャンという様々な顔を持つ彼女に、これまでのこと、これからのことを聞いてみました。

少女のような可憐さと大人のセクシーを併せ持つ花代さん。自身の作品にもその人柄は表れ、日本をはじめ世界中のアートシーンで注目されている。

「小学生のころは、みんなが聖子ちゃんやたのきんトリオを聴いているときに、プラスチックスのライブやクラシックコンサートに行くような子だったの。高校生になると、それまで仲良かった地元の友達と離れて池袋の学校に通うことになって。当時は80年代後半、池袋はサブカルチャー、アンダーグラウンドなカルチャーのメッカとして賑わい、変なレコード屋やライブハウス、映画館とかがあって、学校帰りによく行ったな。そこで新しい友達がどんどんできて世界が広がっていったの」

高校一年生のとき、同人誌やミニコミ誌がブームになり、彼女も友達と一緒に『女子高生通信』を発行したところ一躍注目を集め、思いもよらない人からのコンタクトもあり、彼女は自分を表現し、活動していくことの楽しさに目覚めていく。それからバンド活動や、映画に出演するほか、父親から譲り受けたカメラで物や風景を撮ることも続けていた。卒業後は美術大学の彫刻科に進学。しかし、すでに様々な活動をしてきた彼女にとって学校の授業におもしろさは感じられず、半年間フランス・パリに留学する。

「同い年の中には生活のために働く子や、近隣の国から亡命した子もいてショックだった。日本にいたときはそういう子がいなかったから」

その驚きを胸に秘めつつ、彼女はパリで美術大学には行かずダンス学校へ。サーカスの家に生まれた若者と一緒に踊りながら、日本人らしいことをしたいと感じるようになる。そんなあるとき、ある日本人男性と知り合う。その人は空間デザイナー、インテリアデザイナーとして世界的に知られる倉俣史朗さんであった。

「私は小さい頃から日本の伝統芸能や着物とかが好きだったの。それで彼に『本当は芸者になるのが夢だったけれど、そんな世界は今の日本にはないんだよね』と話したら、『あるよ』と返されて。それから留学を終えて日本の大学生活に戻ったんだけど、何かが違うと感じてしまい……。そのとき偶然入った映画館で市川崑監督の「日本橋」「億万長者」が上映されていてね。登場する芸者を観ていたら、倉俣さんの言葉を思い出して。観終わった後、その足で向島に行きました」

芸者のいる街、向島。年の瀬の夜9時過ぎ、彼女はある光景に出くわす。
「普段はその時間帯だと通りは真っ暗だけど、その日は年の瀬もあってか、ちょうど芸者さんたちがお客様を見送るところで明るかったの。提灯のかかった軒先から、白塗りをして綺麗な着物でお支度をしたお姉さんたちを見て、『なんだこれは!こんな世界がまだあったんだ』と。そして5分後、何もなかったように通りは真っ暗に。外国に行ったときよりもビックリしたな。そのとき、洗い場募集の張り紙を見つけて尋ねに行ったら、そこのおかみさんに『あなたかわいいわね。明日の3時にウチにいらっしゃい』と名前も聞かずに言われたの」

こうして彼女は翌日から芸者見習いとしての修業を始める。花柳界と呼ばれる芸者の世界だ。お姉さんたちの着物や化粧、芸事など全において興味津津で、楽しかったという。それと並行してミュージシャン、写真家として忙しくも充実した日々を送るが、7年後に転機が訪れた。ドイツ人の彼との結婚によりベルリンに移住、花柳界を離れたのだ。

「お稽古のない生活に変わり、娘の点子が生まれて……。東京は自分から作るというよりは機会をもらってやることがほとんどだけど、ベルリンはみんなに時間があって広いスペースを持っていて、お金を持っていなくて(笑)。でもゼロから始められるところがいいと思った。どこの誰のためにじゃなく、締め切りもなく。それは贅沢だなって」

彼女は愛娘やベルリンでの生活をカメラに収めながら、写真集の出版、個展の開催、またミュージシャンとしてのライブなどアーティスト活動を世界各国で展開していく。そして15年後、昨年の秋、拠点を日本に戻した。

「日本の自然は美しい。古典的な洗練された美意識も素晴らしい。(芸者の)お姉さんたちの芸や、古くから続くもの、継続して残っているものに惹かれる。時間が経過しているということにも美を感じますね。日舞の先生やダンサーの方とか、お婆さんになってもう踊れなくても、それでも美しい人がいたり。そう言えば、私は子供のころから着物や踊りなど日本の古典的なものが好きだった。東京に戻ってきて、建築家の知人は『ヨーロッパは都市計画がされていて、景観を乱す建築など自分勝手に造れない。だから街並みが統一されていて綺麗』と話していた。でも、私は丘や川など、きっと縄文時代ぐらいから変わらない地形の上に何千年と皆が踏んできたところがそのまま道になり、その上に今の東京がある感じなの。そういうところに原始的な自然のようなものを感じる。歴史を感じるときに、愛着や美を感じるのね。私、日本らしさ、日本人らしさについて、みんなで今一度考えるべきじゃないのかなって思う。島国としてずっとそうやって生きてきたのに、この100年で様々なことが変わってしまった。東北の大震災もあって……。これからは繊細な手仕事とか日本文化を見直しつつ活かした方がいいね。実はね、私、東京で育って10代で花柳界に入り、その後ベルリンに移ってしまったから日本のことを知らない気がするの。だから国内を旅して、日本のことをもっと勉強しようと考えているんだ」

幼い頃から日本人としての自分を見つめ、表現者として様々な経験をし、世界そして日本で活躍する花代さん。これからどこへ走ってゆくのだろうか。楽しみだ。

 

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花代 Hanayo
アーティスト。写真家。ミュージシャン。1970 年生まれ。大学を中退後、向島で半玉(芸者の卵)の修業を開始。 そのエピソードでロンドンの『The Face』誌の表紙を飾る。また、ジャン=ポール・ゴルチエなどのモデルとして も活躍。96 年、初の写真集「ハナヨメ」を出版。結婚をしてベルリンに移住する。その後、東京、ベルリン、ロン ドン、パリ、モスクワ、香港、ニューヨーク、北京など、世界中の都市でパフォーマンスや写真家としての活動を 展開、昨年、日本に帰国した。写真集「ハナヨメ」(新潮社)、「ドリームムムム・・・ブック」(リトルモア)、「HANAYO artist book」(河出書房新社)、「MAGMA」(赤々舎)、「colpoesen」(ユトレヒト)など。
http://www.hanayo.com/

 

撮影&インタビュー/田口まき ヘアメイク/ヤマザキアカネ

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