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江戸時代、参勤交代で江戸に居を構えた大名は、屋敷に競って大きな庭を設えた。
その数は1000を数えたという。明治維新後、次々と姿を消したが、
今でも東京には、江戸の面影が偲べる庭園が残されている。大名庭園の成り立ちと意味、
その楽しみ方を、造園学の第一人者である進士五十八博士が解説する。

聞き手・文/JQR編集部 撮影/高井朝埜

景観に加え、実用性がバランス良く備わっている。
それが大名庭園の大きな魅力

大名庭園はその名の通り武家の庭園です。それは、僧侶の庭や公家の庭とはまったく違うもの。美しさだけではありません。例えばここ「浜離宮恩賜庭園」は、もともと将軍家の浜御殿「浜の御苑」です。この庭には「新銭座」「庚申堂」のふたつの鴨場があります。鴨猟、ハンティングができるのです。馬場も弓場もあります。「常在戦場」が武士の心構えですから、日々の武芸鍛錬は欠かせません。そこで、庭園にもこうした施設を設けたのです。

日本庭園を禅や仏教の思想で特別視しようとさせる説明は、かえってわかりにくくする、と進士博士。庭園は楽しく利用するところ。まずは、そこから始めましょうと話す。

 戦を想定しているため、造りや立地も戦略的です。堅牢な石垣に囲まれ、入口に枡形がつくられている「浜の御苑」は、まさに城の構え。江戸城から山下濠、そして築地川を下れば浜の舟入りに到り、火急には外海に出られます。つまりいざという時は脱出できるようになっているのです。
 とは言っても、武士が一から十まで戦いを求めていたのではありません。「和戦両様」と言うように、戦いの一方、外交でもてなし、有利に事を運ぶ術も持っていました。その舞台として、庭園は大変重宝したのです。
 「浜の御苑」には中島の御茶屋や松の御茶屋、そして最近復元された燕の御茶屋などがあり、社交やおもてなしに使われました。そこではお茶やお酒、料理が楽しめ、もちろん女性も集まりました。庭園は、風景を愛でる場という上品な側面だけではなかったのです。政略の舞台であり、多様な悦楽を享受する場でもありました。それが、江戸時代のトータルな文化なのです。

大名庭園は広大な敷地を持ち、その造園には長い時間を要している。小石川後楽園は水戸徳川家の祖である徳川頼房が寛永6(1629) 年に江戸の中屋敷(後に上屋敷)に造ったもの。それを二代藩主の光圀が完成させた。浜離宮恩賜庭園はもともと将軍の鷹狩り場だったところを四代将軍家綱の弟、松平綱重が承応3(1654)年に将軍からこの地を賜り、海を埋め立てて別邸を建てたことが始まり。その後、歴代将軍によって幾度かの造園、改修が行われ、11代将軍家斉の時にほぼ現在の形になった。一方、六義園は元禄8(1695)年に五代将軍徳川綱吉から与えられた土地に、柳沢吉保が7年の歳月をかけて造ったものである。

美しさは実用性、機能性等すべてが備わってこそ

 造園文化で大切なのは「用と景の調和」です。「用」は実用性。「景」は景観性、美観性。そのバランスと気配りが、庭造りの基本姿勢です。これはすべての庭園に共通していることです。「用」と「景」を統一することで、初めて「美」が生まれるのです。
 大名庭園で言うところの「用」は軍事だけではありません。医と食と農を含み、薬草園、菜園場、梅林、茶園、井田法(水田)も庭園内に設けられました。さらには殖産興業の実験場として、「浜の御苑」では青木昆陽によるサツマイモ栽培試験もやっています。産業振興ですね。当時の為政者は産業、文化、芸術、教育などと分けず、それらのすべてを視野に入れてやらなければならなかった。つまり、大名庭園は武家社会を支えるすべて実践の場、広汎な役割を果たしたオープンスペースだったのです。

庭園の基本は囲んで理想を縮めて再現する

 庭園をつくるには、まず空間を囲むことから始めます。英語で庭をガーデンと言いますが、つまりガードすることですね。石垣や塀、濠など、様々な方法で囲う。最も大きな囲いは山で囲まれること。小宇宙盆地ですね。囲いは、人間が安心して生きてゆける空間の基本条件です。日本の古都はどこも盆地なのはこのためです。
 囲んで安全を確保し、その中に理想郷(エデン)をつくる。何が理想かというのは時代によって違います。古代はシンプルに、神様や仏様を祀りました。近世になり人が経済力と技術力を持つようになると、人々は憧れの世界や風景を表現するようになる。例えば、小石川後楽園には日本や中国の名所がつくられました。蓬莱島、竹生島を配した大泉水は海でもあり琵琶湖でもあったのです。富士の白糸の滝や中国杭州の西湖堤など、教養人が共通理解できる名所を、園内に上手に配置しました。もちろん原寸では無理なので縮小します。これを「縮景」といいます。囲みの中に理想郷を縮景する。これが日本庭園独特のつくり方の基本です。
 小石川後楽園から70年近く後につくられた六義園では出汐湊や藤代峠など、万葉集や古今和歌集に詠まれた名所八十八か所の風景が「縮景」されました。和歌世界のテーマパークです。テーマが違っているだけでディズニーランドもユニバーサルスタジオも方法論は同じですね。囲ったその中に、和漢の教養を駆使して作者は理想世界を再現したのです。

外界と繋がり雄大な景観を造る

 単なる眺望ではなくて、外の山や塔を庭園の主景に生けどる方法を「借景」と言います。人間はいつも囲まれた中にいると、外部と繋がりたい欲求が沸いてきます。江戸時代という鎖国の時代に生きた人々は外国に憧れました。封建時代というのは大名の日常生活や社会的行動もある種、精神的に囲まれているようなものです。将軍さえも同じで、徳川家斉(1773〜1841年)はここ「浜の御苑」に頻繁に訪れ、遊んでいます。息苦しさから逃れたかったのでしょう。解放された家斉は元気溌剌と、子どもを53人も生ませた。それは、庭園が持つ効用効果の最大のものですね(笑)。冗談に聞こえるかもしれませんが、半分は大切なことだと思っています。庭園は保存されるだけの文化財だと思っている人が多いのですが、それはおかしなこと。庭園にも生活史がある。それを学んで社会や国のあり方も理解できる。文化と時代と社会を行ったり来たりして全体像が理解できるのです。
 話が逸れましたが、庭の場所の力はとても大きい。本当はもっと凄いのですが、周りに建った高層ビルがその景観価値をひどくこわしてしまいました。
 例えば、ここ(松の御茶屋)から潮入の池を眺めると、その向こうに土を盛って築いた人造の庭富士が見えます。後ろのビルと比べられるので富士らしく見えないですが、江戸時代にはあれが富士らしく見えたのです。池から手前を近景とすると、庭富士は中景に当たり、遠景には、品川沖の帆掛け船が幾艘も重なり揺らいでいたのです。そして、その向こうに本物の富士山が聳えていた。このように、近景、中景、遠景、超遠景の重なり方をしっかり計算して風景を構成し、つくっているのです。大名庭園の素晴らしさは、外の風景を借景として取り込んで完成させた美しさです。
 そんな風景を想像してください。それはそれは雄大で素晴らしい、まさに一幅の絵になると思いませんか。自然と調和したこの極めて芸術的な風景を、現代の無頓着に建ったビルが台なしにしてしまったのです。今は、ビルが背景ですから、ここ「浜の御苑」の価値は、それこそ江戸時代の1000分の1以下になってしまった。日本の誇るかけがえのない近世文化が失われつつあるということです。

インタビューは浜離宮恩賜庭園の松の御茶屋で行われた。江戸時代には潮入の池の彼方に、品川沖の帆掛け船、さらには富士山が見えたという。

インタビューは浜離宮恩賜庭園の松の御茶屋で行われた。江戸時代には、潮入の池の彼方に、品川沖の帆掛け船、さらには富士山が見えたという。

主役となるのは緑濃き樹木
四季を演出するのは花木と紅葉

庭園を囲む石垣と濠

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浜御殿は江戸城の出城同様の役割も果たしたので大きな小松石で枡形を構成した。大手門になっている。まさに、戦に備えた庭園である。

 庭園の主役は、何と言っても樹木です。それは何十年、何百年と歳月を重ねて時を継ぐ樹木景観でなければ出せない美しさです。
 庭の主役、絵になる樹木は独立樹です。一つ松とか三百年松と呼ばれ、個性的な完成樹形の木です。もうひとつはまとまった風景を成すための樹林です。例えば小石川後楽園の大泉水は海を見立てているため、池周りの松林には黒松を植えています。小石川台地の植生から言えば赤松ですが、黒松林にして海岸風景を演出しています。最後は庭園を囲む厚みのある樹木群です。木々が庭園をエンクローズするのです。庭園内を緑の壁で外界から遮断し、園内を独立した小宇宙的空間にするのです。
 こうした樹木が主役となり、庭園の骨格を作る一方で、花を咲かせる木や紅葉が美しい木々が四季を演出します。梅や桜、ツツジ、フジ、紫陽花、紅葉などですね。
 日本の庭園は自然風景をベースにしています。アジアモンスーンが生み出す照葉樹林が緑豊かな背景をつくるのです。湿度、温度が高いため、植物は育ちやすい。庭園は景観を保つことが大切ですから、これら草をとり、樹木の成長を抑制することが必要です。そこで、剪定整姿や刈り込み技術が発達しました。日本の庭園の美しさは、人手をかけた手入れの美しさでもあるのです。
 最後は地被植物ですね。地表を覆うグランドカバー。それが芝生です。芝生は平安時代から使われていますが、江戸時代になって、大名庭園で多く使われるようになりました。昔の京庭ではあまり使いません。京都は苔が多いですね。大名庭園は開放的な広い空間を持ち、日当たりが良いため、芝の使い勝手が良かったのでしょう。

庭園を味わうための様々な時間体験の仕掛け

小石川後楽園に入る前の水戸藩の中屋敷前の内庭(写真上)。ふたつの橋の向こうにはかつて大きな唐門があった。唐門をくぐると後楽園。そこからは木曽路。鬱蒼とした木立(写真中)をしばらく行くと、目の前に大泉水が(写真下)が現れる。客人は、真っ暗な山道から突然広大な水面を眺め、つくり込まれた精彩な庭に驚くという。

 大名庭園には、風景をより楽しむための、時間を巧みに操った仕掛けが仕込まれています。それは、短い時間から長い時間まで多様です。
 短い時間の例は園路です。小石川後楽園を歩くと、飛び石があったり、二手に分かれたり、山に登ったり、池に下ったりと、園路のパターンが非常に複雑にできています。映画のように、あえて進行方向に向かって景色が意図的に変化するようにつくっている。少し大き目の飛石が打たれていれば、自然に足を止め足元の地被類の風情を眺めたり、そこから池や島、滝など絵になっている部分を味わうのです。山に登って息を切らし、水辺をゆっくり回って呼吸を整えるなど、動と静の心理的変化を楽しめるように、地形に応じた園路の曲率、つまり曲がり方の緩急最小半径を設計しています。
 歩面も同様で、敷石から飛び石、延段、瓦、敷砂利、裸地と変化します。また、飛び石を調べると、9歩や12歩で切れたり思い切り折れたり。長々と同じ道を続けることはありません。敷砂利だとスタスタと歩いていけても、飛び石だと、一歩一歩注意深く歩を進めることになります。街中を歩く人の歩行速度が毎秒1.3mとすれば、園内の園路では、毎秒0.7mくらいに、ゆっくり歩くようになる。園路に変化を与え、歩く楽しみ、景観を眺める楽しみを演出しているのです。
 また、歩面によって歩く音も変化します。当時は下駄や草鞋でした。足元が奏でる音があり、そのリズムには個人差もあって、それを伴奏に庭園を巡るのです。このように時間と体の動きを演出して、そこに音と風景の変化までも組み合わせている。言わば風景を楽しむための路のリズムができている。これが小さな時間の変化です。
 その小さな時間に続くのが朝と夜です。美しい朝日や夕日、夜の帳をどうやって見せるかと、灯籠やたいまつを工夫している。山の上なのか、池の畔なのか。サンライズ・サンセットの方角や情況も大切です。
 それから次は春夏秋冬です。日本の花札には、1月から12月までの季節の動植物が描かれています。4月は「フジにホトトギス」、7月は「萩に猪」など、植物と動物と行事を組み合わせて季節感を演出している。日本の庭園の植栽では緑から赤、白というのではなく、微妙な緑の季節変化を生かしている。芽出し、新芽、そして新緑から深い緑、黄葉、紅葉、落葉に変化します。その背景には針葉樹を置いて、紅葉から落葉へと移る時間を目立たせるよう演出するのです。
 そうした細かな時間の積み重ねを演出しつつ一方ではゆっくり重みを味わう長い長い時間、10年、100年、1000年スケールの変化を生かそうとするわけです。「景観十年・風景百年・風土千年」と中国風に言う場合もあります。

浜離宮の良さは水平線・ホリゾンタルの優しさだと話す進士博士。水平に造られた建物と橋の水平感と大泉水の水平の広がりが一体となって、将軍家の苑の風景をつくる。

陰翳礼讃とエイジングの美


主役となる木・主木を見上げる

浜離宮には「三百年の松」、小石川後楽園には「一つ松」(写真)、六義園には「しだれ桜」など、庭園では、老樹・名木など個性的な主木を園景の中心に置くことが多い。それぞれにストーリーを持つ、庭園の主役である。

 大名庭園に欠かせないのが御茶屋建築ですが、庇が深くなっていると、深い陰影をつくったり、池に反射した光が庇の天井でゆらぎを楽しませるからです。庇が深いと外は明るく、中は暗い。その中間もあって、5〜6段階の陰りのグラデーションができる。それを谷崎潤一郎が『陰翳礼讃』に描いています。御茶屋から眺める景色や、露地の軒内でも同様です。光が燦々と降り注ぐ時も、しっぽりとした雨の時も庇が深いと美しくも味わい深い。雨で煙る庭園の風景は、和の建築あってこそ心に染み入るのです。
 また、よく「わび・さび」と言いますが、私風に外国の方にわかりやすく言うと、「エイジングの美」、つまり、時間の積み重ねが醸成する美しさです。「さび」という字は自然とか天然の「然び」ですね。然るべきという意味で、それっぽい。しっくり、しっかり、時が経つことで自然そっくりになることです。庭は人為的なものだから最初は新しいし落ち着かない。それをどうやって自然そっくりになじませるか。それには時間がかかります。


飛び石を眺め、渡り、味わう

様々な表情を演出する園路。足元に注意が必要で一歩一歩前に足を運ぶ飛び石は、その配置パターンを目で楽しみ、また歩くスピード、歩幅の変化で楽しむ。

 ペンキを塗ってるようでは日本では駄目です。イギリスではweathered(雨や陽光で褪色したり変色して周りになじんでいくこと)の美と言います。白木が雨露に当たってだんだん退色しグレーがかってくることですね。日本人はこれを追求する。完成したばかりの燕の御茶屋は白木が美しいけれど、その美しさは風景になじんでいません。風雨に晒され、時が経って白木がグレーや茶に変化し屋根が苔むした時、私たちは感心するのです。日本庭園の特色、究極的価値は、「時間美・歴史美」「エイジングの美」にあると、私は思います。
 「時間美」はまさに庭園に年輪を刻むこと。木の根元の根張りや盛り上がり、そして苔むした石、蕨手が欠けたり風化した石灯籠。朽ちた茶室や亭屋。それに四季折々の光や風が投じられ現れる、刻々と変わる無常の美しい景色。その中に、私たちは人生を重ねるわけです。皆さん、ぜひ一度、江戸の庭の現場に足を運んで、そのような風情や気分を楽しんでください。

PROFILE

『日本の庭園』(中公新書)

進士五十八(しんじいそや)
農学博士。造園学者。
1999〜2005年東京農業大学学長を務める。日本造園学会長、日本都市計画学会長、東南アジア国際農学会長を歴任。東京農業大学名誉教授。2007年紫綬褒章、2015年みどりの学術賞が授与されている。著書に『「農」の時代』(学芸出版社)、『日本庭園の特質ー様式・空間・景観』(東京農大出版会)、『日本の庭園ー造景の技とこころ』(中央公論新社)ほか。

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