3.11を抱きしめて – 東日本大震災・災害復旧ボランティアの現場から- [第2回]

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津波が人々の営みを瓦礫に変えた。膨大な瓦礫を 処理し、新たな営みを作り上げる戦いが続く。

 

3回目の週末ボランティア。金曜の夜に車で出発し、石巻市の災害ボランティアセンターの拠点がある石巻専修大学のグラウンドに土曜日の早朝にテントを張った。石巻市は人口15万人(3月15日以前)。

テント設営所には様々なボランティアがいた。ポニーテール、イヤリング、派手な色合いの服装の者、学生、フリーター、失業者、自営業者などなど。すべてを放り投げて手伝いにやってきた面々だ。

地震発生から数週間たつと、だんだんキャンプ場も国際色豊かになってくる。スリランカからの大ボランティア隊は、2004年のスマトラ沖地震で津波後の惨状を経験している。ハワイ出身のビルは一人でやってきていて、3ヶ月も原始的なプラスチック製シェルターで暮らしていた。ピースボートは非常に組織だった活動を展開し、週替わりで100人の部隊を送り込んでいる。また、サイエントロジーも12人のボランティアを派遣していた。サイエントロジーに対してはいろいろ意見もあるが、若いボランティア達は現地で避難者に有用なサポートを提供している。

ボランティアを組織している者(オルガナイザー)は、ほとんどが若者だ。プロではないが、数週間のうちにみるみる成熟していき、年齢を超えた域に達してしまう。朝8時30分に登録を行った後、ボランティアのオルガナイザーらは、5人から20人位の人を大声で募集する。私たちには、住所、簡単な地図のほか、「75歳、女性、家財道具、衣類、畳40枚、瓦礫、泥出し」といった状況の概要が示された。

私たちは、スキ、手押し車、バール、スクレーパー、ゴミ袋200袋等を資材庫から持ち出した。ゴミ袋200袋はほぼ満杯となる。指定された家にたどりついたとき、そこには、75歳の女性がぽつんと破壊された家を見つめていた。この女性は、私たちと会うために、避難所から歩いて自宅に戻っていた。私たちはバールを使って、水で膨張した木製の棚や引き出しをこじ開けた。海水が勢いよく床に流れ落ちた後、綺麗に包まれた着物が現れたが、もう使い物にならない。びしょぬれの写真アルバム、子供用のぬいぐるみ、若い頃の思い出の品々。

「全部外に運び出して。どっちにしても、もう使わないから。全部捨てて」

ひとりの女性の一生が詰まった品々を、朝の数時間という僅かな時間で、捨てた。ひとりの人生すべてを道に放り出した感じだ。道路には、すでに他の人たちの、やはり全人生が詰まった品々がうず高く積まれていて、この女性の品々もその一部となった。私はやりきれない思いでいっぱいになった。

災害から3ヶ月たち、ボランティア作業の内容も変わってきた。基礎から破壊されてしまった家を除いたすべての家では、「解体」または「保存」のどちらかの張り紙がしてあり、同地区では至る所で解体用重機が動き、救出不可能な家々を取り壊していく。再開したホテルには、日本中から集まった工事作業員らで満杯である。

ここで問題が生じている。地域外から集められた人々が、地元でがんばって事業を続けている企業から、有償の仕事を取り上げているという主張。一方で、何百人という無償ボランティアは、道路脇の溝から泥を除去する作業をこなしているが、これは本来なら市が行うべき仕事である。

いずれにせよ正解はない。確かなのは、今回災害は、規模や復興費用の面で空前のものであるということ、そして、より多くの人が手助けをすることで、避難者はより迅速に学校の体育館からの生活から抜け出し、生活の立て直しを始められるということだ。東北人は不屈である。必ずや復興を成し遂げることであろう。

 

Julian Ross(ジュリアン・ロス)
1990年から日本に在住。英語のテクニカル・エディターとして活躍。オフタイムには愛犬と登山を楽しむ。2011年3月11日以降の週末には、震災ボランティアとして活動し、東北地方の復興を願う。英国出身。

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