3.11を抱きしめて – 東日本大震災・災害復旧ボランティアの現場から- [第1回]

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写真・文 Julian Ross

 

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水が引いて現れた瓦礫は2Fに達した。

 

想像を超えた破壊。ぞっとするような映像が、テレビで何度となく繰り返されたが、それらをも超える絶望的な惨状が石巻だった。私は、この現実を整然と受け止める心の準備ができていなかった。

私たちを乗せた車は、両側に瓦礫の山が連なる道をゆっくり走った。すべての家の外壁には、津波がつけた水跡が高い位置に残っている。この辺では2メートル。最高37メートルという記録には遠く及ばないが、それでもこの地域の家すべての一階部分が完全に浸水する高さである。残骸と化した自分の家まで戻ってきた住民は、自分の身の回り品すべてを機械的に道に捨てていった。

「自動車が何台も自分の家の先まで流されていったのを見たとき、私は、自分と妻そして母を救うために、すべてを放り出した」と語ったのは、60歳代の精悍な男性だ。温厚な話し方とは対照的に、この男性の指は、声には出さない緊張感で落ち着かない様子だった。

「水は、腰より上まで来ていた。最後の望みは、2階にたどり着くことしかなかったが、水位はものすごい早さで増していった。私は、母を一方の腕で、またもう片方の腕で小さな孫を抱え込んだが、水が波打って小さい子どもを私の腕から引き離してしまった。4日後、水が引いた後、顔を上にして横たわっている孫を発見した」

振り絞るように発せられた男性の話に、私たちボランティアは返す言葉がなかった。

「私の母は半身不随で一人では2階にあがれない。凍りつくような水がどんどん水位を増していき、私たちは家具もろとも、屋根のほうへと押し流された。居間の天井がみるみるうちに近づいてきた。私は母を片方の腕でしっかり抱き、もう一方の腕で居間の天井に手を伸ばし、呼吸できるようにするための穴を開けようと、拳で強く叩いた。その後、津波が最高潮になるまで30分ほど、空気の隙間がほとんどない中でじっとしていた。身体の弱い母は耐えきれなかった。母は、優しい声で自分の両親のもとにやっと旅立つときが来たようだと言い、静かに息を引き取った。その後まもなく、私の妻も後を追うように逝った」

「第一波が退いてから、より大きい第二波が押し寄せてくるまでの間に、私は何とか2階に上がることができた。氷点下となった夜を過ごした次の朝、私は、娘が孫娘をしっかり抱き寄せながら反対側の家の屋根の上にいるのを見た。娘たちの足は氷のような水で凍りついてしまっていたため、私が、泳いでそちらへわたり、娘と孫娘を自分の家の2階まで引っ張ってきた。娘たちの他にも2人の隣人が屋根の上にいるのを目にしたが、すでに動いていなかった」

「同じ日の朝、何かが私の家に向かって流されてきた。それは、畳の上に這いつくばった女性だった。私たちは、何とか彼女を引き寄せて家の中に入れたが、ひどい傷を負っており、寒さで体力もなく、まもなく死んでいった。私の妻や母のように、誰かに看取られて逝くことができただけ、この女性は幸運だったのかもしれない」

このほかにも同じような体験をした人が何十万といるはずだ。メディアでは語られない生の声だ。

 

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片付け終了後、担当した家の主人がみせた小さな笑顔。

 

Julian Ross(ジュリアン・ロス)
1990年から日本に在住。英語のテクニカル・エディターとして活躍。オフタイムには愛犬と登山を楽しむ。2011年3月11日以降の週末には、震災ボランティアとして活動し、東北地方の復興を願う。英国出身。

 

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