私と日本 〜モダンは伝統にあり〜 [vo.2] 竹と日本 – 洗練の極みに達した日本的な文化

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エッセイスト

フランソワーズ・モレシャン

Japanandme 1

竹と日本 – 洗練の極みに達した日本的な文化

タケ(竹)という言葉を聞いて日本人が何を思い浮かべるのかは私には定かではないが、フランス人にとってバンブー(bambou、竹)という言葉は長い間、アジア全域と結びついたエキゾチックな雰囲気をまとっていた。植民地時代にはインドシナと呼ばれたベトナム、カンボジア、そしてタイ、インドネシアから中国に至るまで、竹は遠いアジアの国々を西洋人に連想させる素材である。

「バンブー」という言葉で私たちフランス人が思い出すのは、祖父母の家の居間を必ずといっても良いほど飾っていた独特の家具である。それらは少なくとも、一脚もしくは二脚の椅子、何脚かの肘掛椅子、そして軽いティーテーブルであった。これらの家具はフランス的な家具調度と調和し、欧州の人々がことのほか愛するフランス流の内装にほのかな異国情緒を添えていた。

ナポレオン一世の甥、ナポレオン三世が第二帝政を敷いていた1860年代、蒸気船の登場によって遠方への旅は以前よりも楽になった。そして、アジアに長期滞在するフランス人が「植民地」土産として竹製の魅力的な家具を持ち帰ったのである。これらの軽快な家具に欧州人は抗いがたく心を奪われたため、フランスの家具職人たちは模倣を始めた。竹以外の木材を用いたのだが、竹の節(ふし)まで再現する凝りようだった。

いまや、この時代に作られたフランス製“竹椅子”は骨董市で大変な高値で取引されている!

バンブーはアジアのイメージと強く結び付いている。国際的名声を誇る女優、シャルロット・ゲンズブールの父親であり、歌手、作詞家、作曲家として活躍した故セルジュ・ゲンズブールの最後の妻がバンブー(芸名)と呼ばれるのは、彼女がベトナム系だからである。

1950年代の終わりに来日するまで、私は竹に対して抱いていたイメージは、以上のような「植民地時代的」魅力にとどまっていた。

その一方、日本は一度も植民地化されなかった。アジアの他国の状況を考慮した徳川幕府が非常に賢明にも、外国からの侵略を防ぐために国境を閉じる「鎖国」体制を選択し、家光の時代までに完成させたおかげである。来日した私は、洗練の極みに達した、実に日本的な竹の文化を発見したのである。

第二次世界大戦が終わってちょうど13年を経た1958年、私は初めて日本に来た。当時の日本はすでにアメリカ化が相当に進んでいたが、まだまだ伝統は健在で、ロサンジェルスというより江戸の文化に近い生活様式が残っていた。プラスチックが日本列島の隅々に行き渡る前の良き時代であった。

私の耳は「たーけや、さおだけ!」の呼び声をまだ覚えている。路地をめぐり、洗濯物を干すための長い竹の棒を売り歩く商人の声である。私は下目黒に小さな家(離れ)を借りていた。そばの母屋には、大家である岡田夫人が住んでいた。日本にいる、と実感できた。この住まいに私は幸福感を覚えた。

竹を編んだ庭戸を開けると、離れまでの通路は小さな竹の茂みに囲まれていた。竹は春の風に揺れ、冬の雪の重みに撓(たわ)んだが、決して折れることはなかった。

私は岡田さんを訪ねて母屋にしばしばお邪魔したが、1945年のB29による空襲の猛火を免れた家であった。玄関を入って上を見上げると、補強のために格子に組んだ天井には竹材が使われていた。居間に通されると、日本人が美術品を飾る床の間が目に入ったが、床柱は先ほどの天井材とは異なる種類の竹であった。

日本のフラワーアレンジメント、生け花は、竹を見事な渦巻き状に編んだ籠に活けられていた。

岡田夫人と庭でおしゃべりを楽しむ時は「縁側」(家の周囲にめぐらされたベランダ、狭い廊下の一種)に腰掛けたものだった。岡田家の場合は、半分に割った竹を敷き詰めた縁側であった(なお、半分に割った竹は足の裏に気持ちよく、疲れがとれる)。庭からは「ししおどし」の乾いた音が定期的に響き、耳に心地よいことこの上なかった。「ししおどし」は、一端を開放した空の竹筒に水を注ぎ、水の重みでひっくり返った竹筒が石を叩いて音を発する仕掛けである。その昔「ししおどし」は収穫物を食べに来る動物を脅かすため、田畑で使われていた。

岡田宅を夜分に訪問すると、節(ふし)をくりぬいた竹筒に入った酒がふるまわれた…岡田家の息子さんは、「剣道」の稽古を終えてから夜遅く、竹製の練習用刀(竹刀)を袈裟がけに下げて帰宅していた。「肉屋さん」に電話で注文すると、私が頼んだ品は竹の皮に包まれて届けられた。住まいの近くにある神社に行くと、私は身を清めるため、竹製の柄杓(ひしゃく)で泉水の水を掬(すく)って手を洗った。

竹の画は至る所で目にする。力強さの象徴(竹は撓(しな)っても折れないから)、清らかさの象徴(竹の柄杓で水を掬(すく)って手や口を洗うから)として描かれることもあるが、ごくごく素直に自然の美しさを讃(たた)えるのにふさわしい画題だ。やわらかな緑色のつややかな幹がそれぞれ縦線をくっきりと描く竹林の魅力は、屏風、着物、漆塗りの上に描くテーマとして最上である。

輪郭を明確にたどった竹の葉の画は、日本人が大切な物品に印としてつける「家紋」のモチーフとして完璧である。

日本のおかげで、竹は植民地主義の象徴であることから免れた。竹は一つの国、すなわち日本の魂である。日本の人々がこれを忘れないことを願うばかりである。

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