私と日本 〜モダンは伝統にあり〜 [vo.10] 日本の「空白」と「静けさ」について

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日本の「空白」と「静けさ」について

私が日本にやってきたのは1958 年であったが、その当時、来日して東京を訪れる西洋人が驚いたのは、都会のただ中に存在する空白、そして静けさであった。美術館や骨董屋に足を運んだ西洋人たちは、竹の一枝にとまる鳥一羽が下の方に描かれているほかは空白のままの屏風に感心しながらもいぶかしく思った。「なぜ、大部分が空白のままなのだろうか?」と。彼らは、日本人同士の会話ではどの話者も沈黙の間をとることを心得ていることにも同様の驚きを覚えた。空間を埋め尽くすことしか考えていない我々西洋人にとって、こうした日本人の流儀はただただ驚きであった。

パリのエリゼ宮(大統領府)やロンドンのバッキンガム宮殿は東京の皇居とは大違いで、多くの人の出入りでざわつき、華美な制服を着た衛兵とこれにカメラを向ける見物人がお馴染みの光景である。

この「空白」―正確な呼称が自分たちの語彙には見つからないために、私たち西洋人はこれを「空白」と呼ぶしかない―とは何であろうか?

実のところ、これを「何も無い空白」ととらえるのは西洋人の目である。日本人にとって、この空白は……、満たされている。例えば皇居の空白は、神秘的であるがゆえに、猶(なお)のことありありと感じられる天皇の存在で満たされている。日本人にとって、話者が自分の考えを表明するだけでなく適切に沈黙する場合、その言説ははるかに重みを増す。

以上に挙げたように「空白」の中に「充溢」を見ることは創造的行為である、と言えよう。そこにこそ、日本人の特質が発揮される。すなわち、無を使っての創造である。備前焼が良い例である。粘土の塊であって、銀といった貴金属は使われない。だが、創作されるのは見事な陶器である……。建築もしかり。部屋数は多くても家具が無い。だが、独特の空間の美学が生まれ、部屋はまさに「間ま 」と呼ばれる。失業中の武士、すなわち浪人は暇を持て余している。ゆえに、日常の動作に磨きをかけて、儀式のような所作に仕立て上げる。

そして、簡素な空間(茶室)で行われる有名な茶道は、「空白」を讃える表現そのものではないだろうか?

入念に選ばれた簡素な道具や素材で構成されたミゼラビリスム(※)、堂々とした貧弱を特徴とする茶道は、空白賛美の最たるものである。無に等しい素材で作られた品々、野の花一輪を挿したひび入りの花瓶に代表される驚くべき簡素を追求する哲学、「侘び寂び」も茶道から生まれた。こうした美学は日本において、洗練の極みと見なされている。

以上のような生活美学は偶然の産物ではない。無から何かを創り出すのは、それが必然だからだ。日本の指物師は、余計な事を考えずに一番美しい木目を求めて木に鉋かんなをかけ、それが見つかれば削るのをぴたりと止める。

禅僧があなたに投げかける問い(禅問答の公案)は、意味が不在なゆえに空白である。意味を見つけるのはあなたの役目である。正確な意味から敢えて遠ざかるこうした手法は、まことに意図的なものである。禅の思想は、唯一無二の意味に潜む危険に警鐘を鳴らしているのだ。問いに対してたった一つの解答で応じるのは、思考を閉じ込め、固定することにつながる。ひと言でいえば、他の可能性を遮断することになる。これに対して、空白があれば別の選択肢を書きこむことが出来る。

西洋は唯一の答えを求め、日本は多くの解答への余地を残す。西洋は樫の木である。強い木であるが、嵐が来れば折れてしまうかもしれない。他方、日本は撓たわむが折れはしない竹である。

しかし、以上は現代の日本についても言えることなのだろうか? 指物師たちは今でも鉋で木を削っているのだろうか? 家具が置かれていない部屋は今でもあるのだろうか? テレビ、ビデオ、冷凍冷蔵庫、電子レンジ、テレビゲーム機に占領され、布団はベッドに置き換えられていないだろうか? 茶道と生け花はどちらも、「ビッグビジネス」に変身してはいないだろうか……。精神集中や思考を助けていた、すなわち創造性を育んでいた空白は、一に消費、二に消費、三に消費、という三原則を持つ新興宗教に駆逐されてしまったのではないだろうか。

フランスの哲学者デカルトは「我思うゆえに我あり」と述べた。21世紀は「我買うゆえに我あり」と言うべきか。

※ miserabilisme 「貧乏主義、悲惨主義」と訳される言葉。もともとは、社会の悲惨や貧困をテーマに取り上げる文学等の芸術を指す。ジャージーなどの実用的な素材を用いたファッションを初めて提唱したシャネルが、高価な素材を使うファッションを代表するデザイナーであったポワレに「高級な貧乏主義」と揶揄されたのは有名な話である。

 

フランソワーズ・モレシャン (ファッション・エッセイスト)
1936年、パリ、モンパルナスに生まれる。ソルボンヌ大学日本語学科を経て1958年に来日。NHK 「楽しいフランス語」講師やお茶の水女子大学フランス語講師などを務め1964年帰国。1974年にシャネル美容部長として再来日。フランス語講師、テレビタレント、作家、ファッションコーディネーターとして活躍。2004年に長年の日仏文化交流の功績によりフランス政府から「レジオン・ドヌール勲章」を叙勲。共立女子大学客員教授。フランス政府対外貿易顧問。外地在留フランス人評議会北アジア代表。金沢21世紀美術館の国際アドバイ ザー。石川県観光大使を務める。

千秋育子(イラストレーター)
愛すべきヒーリングアートの第一人者。書道七段を活かしたカリグラフィはじめ、イラスト、エッセイなどはどれも温かさに溢れ、手に取る人を和やかにする。アランデュカス氏大阪初のプロデュースレストラン「ル・コントロール・ド・ブノア」店内画や、エンジャパン本社内の壁画、その他、イラスト、ブランドマーク、ウォールペイント、エッセイなど、幅広い分野での作品多数。また、各都道府県の名所を網羅したジャパントランプ(日本政府観光局サポート)始め、シンガポール政府観光局サブブランドマーク制作、インドネシアトランプの制作と、アジア圏で幅広い活動を展開中。
http://www.sensyuyasuko.com/

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