最初で最後の真打ち昇進

志ら乃劇場 - 第六席

Decrease Font Size Increase Font Size Text Size Print This Page

Shirano

平成24年12月1日付けで「真打ち」に昇進する。平成10年3月10日入門なので、15年目での真打ち昇進だ。落語界で考えればかなり妥当な年月である。落語家になりたい場合、基本的には自分で入門先である「師匠」を選ぶ。中には知り合いに推薦され、自分の師匠になる人の落語をまともに見たことがないまま入門するというケースもあるが、やはり自分が好きで惚れた落語家を師匠に選ぶものである。 

そして弟子入りしたいと選んだ対象の落語家は「真打ち」という身分でなければならない。逆に言うと、真打ちになると弟子を取る事ができるということだ。入門が許されれば「見習い」という身分になり、しばらくして今後落語家としてやっていけそうだと判断されると「前座」という身分になる。そこで初めて楽屋仕事などいわゆる修業が始まる。それからしばらくし、落語家として一応一人前として認められると「二ツ目」に昇進し、やがて「真打ち」に昇進する。「それからしばらく」や「やがて」と書いたが、この「それからしばらく」や「やがて」の中身は各団体や各一門によって若干変わってくる。特に我志らく一門は家元亡き後、ここの部分を緩めずより強化する機運が高まっている。

昇進すること自体の喜びで言えば、前座から二ツ目に昇進した時の方が、何十倍も嬉しい。これは大抵の落語家が抱く感想だろう。前座の時はやはり「修業期間」であり、そこからの解放が二ツ目昇進ということになる。特に打ち上げなどで、師匠の横に座ってその会話の輪に入ることなど前座の時には考えられない。高座に上がる時に、今までは着流しだったものが、羽織りを着る事を許されたり、紋付の着物を着る事ができたり、とにかく嬉しい「変化」が多いのだ。

真打ち昇進では何が変わるのか。

先にも書いた通り、弟子を取る事ができたり、落語会の出番の最後、いわゆる「トリ」を取る事ができる。しかしそれらは落語家としての責任が多大に含まれることであり、手放しに嬉しいと思える変化ではないのだ。

落語家は「真打ち」になることを目指して入門するわけではない。自分の好きな落語を目一杯やりたくて入門するのだ。それを実行するには前座ではなかなか自由が利かないので、二ツ目に昇進する必要がある。だから昇進するということが目標になるため、それを達成した時の喜びは大きい。

しかし「一人前の落語家」イコール「真打ち」という世間的なイメージはやはり根強く、真打ち昇進をこちらが思う何倍も周りの方々が喜んで下さるのだ。「二ツ目」昇進は自分が喜び、「真打ち」昇進は周囲が喜ぶ。どちらにしても、めでたい事には違いがない。落語家人生で一度しか体験できない真打ち昇進をじっくりたっぷり味わうつもりだ。

この記事の感想
  • とてもおもしろく役に立った (0)
  • おもしろかった (0)
  • 役に立った (0)
  • つまらなかった (0)