餅の決意

志ら乃劇場 - 第八席

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Shirano

世の中には様々な言葉がある。その中で最近引っ掛かっているのが「もちもち感」という言葉だ。この「もちもち感」もしくは「もちもち」という言葉は、その対象にプラス査定として使われる。初めて口にしたお菓子に「あれ?これもちもちしてる~」と言った場合、「まずい!」ということはまずないだろう。すべからく「うまい!」「おいしい!」である。そして「もちもち」しているものは、ただ「おいしい」に止まらず、少しの高級感が足されたりもしている。そんなもてはやされている「もちもち」に対し、その「もちもち」の発端であるところの「餅」の評価は低すぎやしませんか?

 というのがこの言葉に引っ掛かったポイントだ。もちろん「餅好き」は多いに決まってる。しかし、「もちもちしてるものが好き」人口と比べると、桁違いで負けている気がする。

 正月に、近くのスーパーに行った時のこと。とある親子連れが話していた。親子連れと言っても、小さな子どもを連れているのではなく、おばあちゃんとその娘という家庭の台所の主要人物の二人という組み合わせ。その日の夕食をどうするかとおばあちゃんが言う。「 もう、お餅にも飽きたから何か他のものがいいわね」

 そしてこう続ける、「 晩御飯、パンでいいわよね、ご飯炊くのも面倒だし」と。

 娘は「いい」とも「悪い」とも言うでなく、すでにパンを選び始めていた。そしてなんの偶然か、そのパンコーナーでは試食会が開かれていた。トーストしたパンを一口サイズにカットし、マーガリンを少々塗った実にうまそうなパンを「おひとつどうですか~」と販売員が配っている。おばあちゃんがそれに気付き、「ひとついいかしら」と言った瞬間、パンに手を伸ばし、それを口にしてもぐもぐもぐもぐ・・・。

 

 そしてこう言った、

 「もちもちしてる!」

 娘に嬉々としてその「もちもち」を伝え、そのパンを買って行ったのだった。私はこう呟いた。「餅に飽きたからパンにしようとしてたんじゃねぇのかよ!」

 しかし、しばらくして「もちもち」の恐ろしさに気がつく。「餅」には飽きたが「もちもち」には飽きてないのだ。

 「餅」を「落語」に置き換えて考えてみた。

 「落語」そのものよりも「落語っぽい何か」の方が世間に受けているのではないだろうか。以前「落語ブーム」と言うものがあったが、決して落語家のやる正統的な落語がブームになったわけではなく、「落語」を題材にしたドラマや、タレントの演じる落語がブームになったのだ。

 現在もお笑い芸人から落語家に転向した人がメディアに多く出演し始めている。もちろん私は「餅」でありたいし、このまま「もちもち」の侵攻を指をくわえて見ているつもりもない。

 「もちもちに勝る餅になってやる!」と買い物かご片手にスーパーでひとり、心に誓った。

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